出会い
May 15th, 2007
樋口雅也
HIGUCHI Masaya
Southern Illinois University School of Medicine
Center for Family Medicine
Springfield Family Medicine Residency Program
日本の一医学生から
世界の中の一人へ。
そして樋口雅也という一人の青年としてイギリスにて児童福祉活動。
その後、アメリカ家庭医の実習体験からUSMLE 受験へ。
Mayo clinic から始まった病院実習は横須賀海軍病院でのインターン生活につながり、
最先端のChildren’s Hospital of Philadelphia, Thomas Jefferson University Hospital にての集中治療科研修。
そして、日本の初期臨床研修へと続く。
約5年間の間に様々な出会いがあり、どの小さなきっかけも今の自分にはなくてはならないことに気付く。
旅
私の人生は‘旅’という言葉なしには語れない。
いくつもの旅立ち。
目的地を持った旅、放浪の旅、何かを探す旅。色々な旅があった。
今の私は人生という長いようで短い旅の途中である。と、新たな旅立ちを前に思う。
それぞれの旅には、目的地があるもの、無いものと様々である。
しかし、そこに必ずあるのは‘出会い’だ。
人との出会い、新しい仕組みとの出会い、そして忘れかけていた自分との出会い。
いくつもの出会いが私を一歩、さらに一歩と押し出してくれた。
ダイヤモンドより固い意志というより、漆のように何度も上塗りされているからこそ輝く人になりたい。もちろんその中心には、年輪を刻んだ自分をもって。
旅の始まり
さて、留学に対するきっかけは案外、近くに転がっているものである。
道端の小石に興味を持って家に持ち帰るか否かから始まっているのではないだろうか。
パスポートさえ持っていなかった私が、アメリカでのレジデントを始めるきっかけ。
それは、大学の大親友から聞いた‘バックパッキング’であった。
その意味さえ知らなかった私にとって、この瞬間が米国レジデントへの旅の出発点だったことを知る由もない。
リュックサックに3日分ほどの下着と、旅行ガイドブック、そして大きな夢を詰め込んで旅をすること。旅といっても、明日泊まるところ、明日行く町さえ決まっていないこともある自由奔放な旅。バックパッキングが多くの出会いを導いてくれた。
私は、医学部5年生の夏休みをこのバックパッカーとして過ごした。
ロンドン行きとトルコのイスタンブールから日本への飛行機チケットを買い、あとはユーレイルパスという多くのEU 加盟国の鉄道に自由に乗り降り出来るパスだけを持ってだ。
最初に降り立った国はイギリスであったが、英語がまったく通じない。
ロンドンで通じない英語が、スコットランドやウエールズで通じるはずもなく、宿にありつけない日もあった。
そんなときに人はとても優しかった。
宿が無く困っていると、さりげなく、そして自然に「どうしたの?」と話しかけてくる。
新鮮だった。
自分に置き換えてみる。
駅、観光地で困った様子の外国の人々を横目に素通りしてきた自分を思い出す。
立場が変われば、見方が変わる。
言葉も文化も知らない一人の青年に対して、優しく接してくれる人がいる。
そんな風に接することが自然に出来る彼らに、心から感謝し、羨ましく思った。
日本でも視界に入っているだろう。しかし、そんな一場面を目にしても心のアンテナに引っかかっていなかったのかもしれない。
蚊帳の外は別世界なのだ。
そんな経験と人々の優しさ。文化の多様性にふれ、初めてのバックパッキングは大成功に終わった。日本に帰る飛行機の中で、涙したのを覚えている。
純粋に「ありがとう」と心から思った。感謝の気持ちで一杯だった。
グローバル化と叫ばれる昨今の世の中で、バーチャルではなく直に目で見て、心で感じた世界。
私たちはみな繋がっていると思った。

地球の歩き方
http://www.arukikata.co.jp/index.html
日本のバックパッカーはみな持っていた。
Lonely planet
http://www.lonelyplanet.com/
世界のバックパッカーはみな持っていた。
ここに紹介されている店をノックすることが、出会いの一歩目だった。
英国へ
帰国した私には、誰かのために役立つことがしたい。
医師ではなく一人の青年、裸の一人の人間として出来ることをしたい。
そんな思いが芽生えた。
そして一年間の休学作戦に出る。
人々との出会い、優しさとの出会い、社会制度・文化との出会いが、英国への旅の出発点となったのだ。
一般的に休学とは申請すれば出来るものだと思っていたのだが、大きな間違いであった。
なんと、私の出身校には50年も前の学則があり、基本的に休学を認めないというのだ。
では、それまでに休学をしていた人はどうだったのだろうか。
そんな思いの中調べてみると、学費を払いながら自主欠席という形で休学の形を取っていた人が大半ということだった。
国際交流が盛んな21世紀にもなり、休学に対してそのような手段をとるしか出来ない体制に、心底驚いた。
血気盛んな当時の私は、なんとしても休学許可を取るべく行動を開始した。
特例で何例か休学許可が出ていることも分かったからだ。
そんな中で、ようやく掴んだ情報は、イギリスで海外からのボランティアを受け入れ、給料、そして滞在先の確保までしてくれる団体(CSV: community service volunteer) がある。とのことだった。
そこまでたどり着くのに4ヶ月。大急ぎで説明会に足を運び、面接。
結果は合格! ながらも最低ランク。6週間の短期語学研修を積んでから、派遣されることとなった。
大学側も、ボランティアの内容を納得し休学許可も出た。
海外での初めての仕事としてのボランティアだ。
この一年が普通の語学留学やボランティアとは一味違ったものだった。
Community service volunteer はイギリス政府が運営援助するボランティア団体である。イギリス本土、ヨーロッパ各国、アジア、北南米などから18〜30歳のボランティアを英国各地のボランティア施設に派遣しているのだ。
業種は様々だ。身体障害者の生活補助、高齢者の介護施設など。そして、私が採用された児童福祉のボランティアと幅は広い。
私は、ロンドン、サウサンプトンとイングランド二都市での語学研修を終え、ウエールズはSwansea(スウォンジ)という町のFamily Group Conference Unitへ派遣される。
法律、教育、市政などの専門家とともにボランティア8人がチームを組み、地域の児童福祉活動を行った。主な対象となるのは麻薬、犯罪、不登校、家庭環境の問題、またADHD (attention deficit hyperactivity disorder: 注意欠陥多動性障害)や自閉症の9歳から16歳の児童だ。
この活動の中で私はかけがえのない出会いをする。
母国語の異なる子供たちと一対一で真正面から向き合うこと。
母国で無い国の制度を知り、仕事に対し給料という対価を得ること。
生まれて始めての生活だった。
ホームステイに語学学校。プレミアリーグフットボールにアフタヌーンティー。
自分の知らなかった英国の一面、暮らしが見えてくる。
児童福祉ボランティアとしての生活が始まった。
週40時間、この時間を使い子供たちに今、何が必要か考え、そして行動に移す。
子供たちのニーズは多彩!!
朝学校まで一緒に歩く。
授業後に釣りに行く!
一緒にバスに乗る。
図書館の使い方を教える。
トランプをする。
サーフィンをする!!
遊園地に行く。
数学を勉強する。
授業参観に参加する。
昨今の「親学」の中でも聞こえてきそうな声だ。
これらは毎日のありふれた日常生活の中にある、彼らにとって大切な空間でありコミュニケーションの時間だった。
その中で発見したことは言葉の尊さ。
自分の想いや考えを伝えられることの幸せを感じたことがあるだろうか。
私は正直、渡英し仕事を始めるまで感じたことが無かった。
当時、自分では気づかなかったのだが、語学学校では英語を話せない日本人として扱ってくれていた。
Swansea に移り、児童福祉のボランティアワークを始めると状況は一変する。
身振り手振りにだけに頼らない、心からの会話が要求された。
心からというのは表情やジェスチャー、言葉の選び方、間の取り方などを含む。
要するに、自分の心をそのまま表現する投影機とスクリーンが必要だったのだ。
自分の考えは持っている。この子供に対してはこんな風に接していきたいという考えも持っている。だが、伝えられない。表現できない。
本当に辛いことだった。
もどかしかった。
日本人として(それを意識せずに)生きてきた私にとって、大きな壁だった。
自分が本当に小さな存在に思えた。
やる気だけではどうしようもない世界がそこにあると思っていた。
そんな世界に光を差し込んでくれた仲間がいた。子供達がいた。
Family group conference で共に働くボランティア7人の同士。
みな歳下だ(当時私は24歳)。
元気の無い私を、彼らが強引に飲みに連れ出してくれた。
なかなか外に出ない私を見て心配したのか、ただ飲みたかっただけなのかは定かではないが。みな、私が何を思い、考えているのか聞いてきた。
それが連日続いた。みなも自身の現在・将来、自国のこと、英国のこと真剣に話していた。
私は始めそれをずっと聞いているだけだった。しかし、みな私を誘い続けてくれた。
毎日飲み明かす中で、ふとスイッチが入った。
自分の思いや考えを話した。文章にならない。
みなが話す文章を耳と心で聞いた。覚えようとした。
言葉に出来ないことがあったら、昼間に必死で辞書と格闘した。
何かが変わってきたと思った。
同じ頃、私は三人の子供たちの担当になっていた。
子供たちと色々な活動をする前に、家族と話す。
私は一人だ。難しい話題になると、私の声は小さくなり、家族の顔が曇る。
もっともなことだ。自分の大切な子供たちを、言葉も話せないアジアの人に任せておけない。オフィスに届いた電話のメッセージだ。
何件かこのような形で担当を外された。
自分のクビは近いと覚悟した。
そんな中で一本の電話が私を救った。
11歳の少年。ADHDとされ内服もしている。学校でもなじめず大変苦労していた少年。
数々のボランティアが派遣されるも長続きしなかった。
そんな家族から、の電話。
私に担当をぜひ続けて欲しいとのことだった。
なぜなら少年が会いたがっている。少年の様子が少しずつ変わってきているとのことだった。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
人に受け入れられること。そして、自分を必要としてくれる人がいることが心から嬉しかった。
英国でボランティア活動の間、少年の担当は私だった。
日本に帰国する際、家族は「ありがとう。」と涙を流しながら言ってくれた。
私が彼を外に連れ出し、一緒に遊び学ぶ。
短時間だが、家庭にも平静が戻る。その繰り返しによって家族が少年を受け入れ、愛せるようになったと。
子供にとって大切な場所がそこにはあるのだと、家族が再認識した。
同じころ子供たちと接するプロとして多くの研修を受けた。
必須講習の一つだったのがカウンセリングの資格だ。
3ヵ月間、週一回の講習・演習を通して主に思春期の子供たちにどのように接して行けばよいか。を学ぶものである。
Active listening から始まり、要所でのbreak downからsetting goalsへ。
言葉で書くと小手先のテクニック談になり兼ねない話だが、大変良い講師に恵まれカウンセリングの基礎を教わることが出来た。
私にとってはただの資格でもテクニックでもなく子供たちと、そして家族と接するための心構えであった。
授業の中で使われた本の中に今でも愛読しているものがある。
Dibs In search of self
家族・施設になじめない、心を閉ざした少年と一人のカウンセラーの日々を描いた実話だ。
自分の中のものさし、大人の価値観。他人の考え方。
私たちは無意識の中で築いた個人の世界を、子供たちに押し付けているのかもしれない。
そんなことを考えさせられた。
価値観という意味で英国では多くのものを学んだ。
特に心に残ることは薬物の問題だ。
イギリスも薬物の使用、特に未成年の使用に関しては多くの問題が起きている。
何人か麻薬依存から復帰プログラムにある少年の担当になった。
その印象は…
普通の少年だ。話している印象は多少やんちゃな感じがするだけで、危険なマフィアの香りなどしない。
不法薬物の使用に関しては日本にでも多く取り上げられている。
しかしながら、その更生施設、更生方法については十分な知識が無かった。
ただ、麻薬使用者というある種の虚像を作り上げているだけだった。
ここに大きな思い込みがあり、Labeling をしていた。
そんな自分が恥ずかしかったと同時に、英国の中での更生を学ぼうと思った。
子供たちに対する対応で一番心に残ったのはその少年・少女の受け入れだ。
罪を犯した、麻薬常習者、何かが問題だという前に、その少年・少女を一人の人間として受け入れる。
その存在を認めることから始まる。
そう、一人の人間なのだ。
そうすることで、心からの更生を目指すというのだ。
例えば、麻薬使用者であるとするなら、まず始めに薬物の正しい知識、注射器の使い方などを学ばせる。
驚いた。注射器の使い方を教える姿に。場合によっては注射器を渡すことさえあるという。
正しい使い方をすることで、彼らを少しでも守ろうという配慮だ。
それとともに、少しずつ薬物から距離を置けるよう指導してゆく。
はじめから、しない・させないの世界ではないのだ。
子供たちにとって、すでに薬物を始めてしまった人・止められなくなってしまった人にとって、薬物の存在を否定することはその子供たちの存在を否定することになりかねない。
更生には時間がかかる。再度の誘惑も多い。その中から子供たちを本当の意味で守るためには、その子の存在を認めてあげられる場所が必要なのだ。
この考え方には、賛否両論あるかもしれない。
だが、一つの考え方として深く心に残った事であった。
そこに自分の存在を認めてくれる人がいる。自分を受け入れてくれる場所がある。
だから、ここに通うのだとその少年は私に言った。
みな必死で自分の居場所を探している。それは心からの欲求なのかもしれない。
私はどうだろう。
イギリスで、日本で、本当に自分の居場所があるのか、帰る場所があるのか。
ふと、両親に何気ない国際電話を掛けた。
聞きなれた声で自分の名前を呼んでくれる。
人と人が繋がっている。見えない糸で繋がっていることを幸せに思った。
イギリスで出会ったのは明るい側面ばかりではない。
海を越えてきた青年に、社会問題も浮き彫りにして見せてくれた。
身寄りの無い少女が生活援助を得るために、シングルマザーになる道を選ぶこと。
高齢者の骨折で手術は三ヶ月待ち。裕福層は他の欧州へと手術、入院旅行に出かけること。
だが、目前の問題に目をつぶらない。彼らに影があるのではなく、社会の影の部分の投影なのかもしれない。
そうであるなら、一人ひとりの存在を受け入れられると考えている。
彼らも被害者なのかもしれない。
英国で出会ったことは数知れない。
学んだことそのものが役に立っているかは実感が無い。
実感は無いが、今の自分には欠くことのできないものなのだ。

Park of memories
CSV
http://www.csv.org.uk/
多くの出会いが生まれた場所。
CEC Japan
http://www.cecj.net/programe/pro_flm.htm
日本からCSVへの架け橋。
米国臨床研修へ
ボランティア活動中より、英国での経験を活かしたいとアンテナを伸ばし、
Family Medicine との出会いから米国臨床研修へのステップは進んでゆく。
簡単にそれぞれを紹介したい。
私が始めて米国の医療を垣間見たのはPCFMを通じてのミシガン家庭医療科での研修である。
その中で一番衝撃的だったのは、アメリカの医学生と日本の医学生の私の歴然とした差。
二週間の研修の中で、5人の医学生(3、4年生:日本で言うと5〜6年生にあたるのか。)と外来の実習を共にした。
患者さんの訴えに対し、的確に問診し身体所見をする。その後にSOAP方式のプレゼンテーションが指導医(当時は佐野先生)に向けて行なわれた。
短時間の間に起きた一連の流れに、開いた口が閉まらなかった。
この一件が、アメリカでの研修をしたい!!の原動力の一つになった。
PCFM
http://www.shonan.ne.jp/~uchiyama/PCFM.html
プライマリケア・家庭医療の見学実習・研修を受け入れる診療所医師のネットワーク

初めて自分で応募したclerkship。Mayo Clinic
世界中から学生を受け入れている。 私は救急科を実習したが、その内容は大変充実しており世界中から集まる学生たちと過ごした一ヶ月間は貴重な財産となった。
http://www.mayo.edu/mms/vis-clerk.html
応募書類の大変さを学んだ。

with Thomas@Mayo clinic ER
その後、卒後研修に選んだ先は横須賀米海軍病院だ。
研修はすべて英語で行われ、米国医師によりマンツーマンの外来診療及びカンファレンス中心の研修である。
英語力の向上とともに、すばらしいスタッフに恵まれ米国医療の仕組み、医学的な思考過程を学んだ。
これからも背中を追いかけたいロールモデル、ともに留学を目指す同士との出会いはかけがえないものだった。
横須賀米海軍病院 日本人インターンプログラム
http://www.nhyoko.med.navy.mil/Intern/default.htm
日米の医療、医学、教育のギャップを埋めてくれた。

with Dr.Richard and Intern class 54
@ USNH
USS Kitty Hawk
野口財団の支援
毎年冬のセミナーで多くの叱咤激励を受けた。
津田先生からの温かく厳しい言葉は今も胸に残る。
全国から留学希望者が集い、大変良い刺激になった。
また臨床留学派遣に関してCHOP, TJU hospital での研修はミシガンから二年間の成長を実感させてくれるものだった。
同時に夢が具体的な目標となってきた時期でもあった。
CHOP の西崎先生は私の最も尊敬する医師であるとともに、
人間として大変魅力的な方で、私のロールモデルだ。
http://www.noguchi-net.com/koryu/seminar/igaku.html



with Dr.Helfaer and Dr.Nadkarni
@CHOP PICU
そして茅ヶ崎徳洲会総合病院へ
ハードな研修の中で、多くのことを学ぶ濃厚な時間を過ごすことが出来た。
わが身の無力さと、日本の医療の光と影を痛感した一年でもあった。
臨床医としての一年を茅ヶ崎で研修できたことを誇りに思い、すばらしい臨床医と共に過ごせたことは大きな財産だ。

多くの人との出会いにより、様々な新しい事との出会いにより、私は今ここにいる。
一人として、一つとして無駄な出会いは無いと感じる。
最後に
今回私は、自分にとっての‘きっかけ’について振り返ってみた。
医師としてだけでなく、一人の人間としての新たな旅立ちと捉え、もう一度大切な原点に戻りたいとの思いからだ。
自分自身の再発見のために。そしてありのままの自分と、自分の心を知ってもらうために。
普段の生活でエッセイを書くことなど滅多に無い私にとって大変な事であるのは重々承知だったが、このような機会を頂けたことを嬉しく思う。
ふと足を止め、筆を走らせることで自分の人生の旅を振り返ることが出来た。
そして、さらに旅に輝きが出てくることを実感する。
やはりそこで思うのは、きっかけは偶然ではなく「必然」なのだ。
心のアンテナ、五感を研ぎ澄まして過ごすことで自分の周りの世界は90度も180度も趣を変えるからだ。
西元先生をはじめ、多くの方との出会いと支えによって私はここまで運ばれてきたのだと思う。
この場を借りて感謝したい。
医師として、人間としてまだ駆け出しの私だが、
米国での臨床留学を通して多くの出会いが出来るよう努力と感謝を忘れず生きてゆきたい。
そして、私と共に歩んでくれた公未に「ありがとう」の言葉を心から贈りたい。
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