NProgram:アメリカ臨床医学留学プログラム 東京海上日動メディカルサービス株式会社
2006年留学記念エッセイ集
米国の救急医学研修
−その概要とポジション獲得までの道のり−

2006年度N プログラム留学記念エッセイ
2006年5月29日
加藤 陽一 Yoichi Kato, M.D
2006年7月1日より
Beth Israel Medical Center Department of Emergency Medicineにて研修開始予定
− はじめに −

私は2002年に富山医科薬科大学(現富山大学医学部)を卒業し、そのまま母校の付属病院で2年間初期研修を行った。その後在沖縄米国海軍病院における1年間の日本人インターンとしての勤務を経て、2006年3月、多くの方々の多大なサポートと幸運に助けられBeth Israel Medical CenterのDepartment of Emergency Medicineでレジデントとして働く機会を得た。日本の北米型(いわゆるER型)救急は現在文字通り「in its infancy」であり、これが日本の状況に合った形で成長していけば、今までの救命センター型救急ではカバー、対処しきれなかった、特に地方の医療体制にとっては大きな助けになると信じている。そしてその成長に深く関わっていける可能性を秘めた米国での救急医学研修は私の長年の夢であった。この夢の実現の影には私を支えてくださった非常に多くの方々が存在し、その恩に報いる一番の方法は帰国後に、私が得た知識や技術を日本のそして地域の医療を少しでもよくする方向に還元することだと考えている。そして今回の経験についてエッセイを通して今後同様の道に進もうとする人たちに少しでも役立ててもらうことも、こういったことにつながると考え簡単ではあるが現在の米国での救急医学研修の概要とそこにたどり着くまでの過程を私の経験をふまえて少しまとめてみたいと思う。まず米国救急医学の教育システムの概略を述べる。

− 米国におけるEmergency Medicine Residency Trainingの歴史と現況 −

米国において救急医学は最も新しい医学分野のひとつであり、その歴史は1960年代にさかのぼる。以前から病院にERという部署はあったものの現在ひろく米国でみられる救急医の常駐するERと異なり、内科や外科の医師が必要に応じてやってくるか、交代でERにつめているような日本でも見かける救急部(救急外来)と同じ形式での運営あった。しかし60年代に入り社会情勢の変化、医学の進歩などから大衆がERに殺到するようになり既存のERシステムの問題が次第に明らかになっていった。そんな中、61年にバージニア州で数人の医師がfull-time(ER専属ということ)でER診療を開始し、彼らが米国での最初の「ER physician」となった。このような動きは時を同じくして全米各地で起こり68年には米国救急医学会American College of Emergency Physicians(ACEP)が誕生。この出来事は救急医学をひとつの専門分野として確立する動きをさらに活発化させ、救急医のトレーニングプログラムをスタートさせようという流れも作り出した。そして1970年、紆余曲折を経て米国初めての公式なEmergency Medicine residency programがオハイオ州シンシナティで産声を上げた。しかし当時はFamily Practiceのプログラムのもと2年間の研修であり、そのうちERでの診療に当てられたのはたった2ヶ月、ほとんどが関係各科をローテーションする形式であった。その後関係者の努力と試行錯誤のすえ、プログラムの3年化、正式な専門分野としての承認、大学および病院でのDepartment of Emergency Medicineの設立などの様々な学術的基盤整備を経て救急医学におけるresidency training programは確立していった。

・Residency Program  3年制 or 4年制

2005年現在、全米で135のACGME公認のプログラムが存在し、そのうちPGY-1からPGY-4までの4年制のプログラムが19、1年間他でインターンをした後のPGY-2からPGY-4までの1+3=4年制のプログラムが15、残り102はPGY-1からPGY-3の3年制プログラムである。さらに数は少ないが、救急医学と内科、救急医学と小児科のcombined program(それぞれの認定医資格が取れる)があり最近、救急医学と家庭医療のプログラムも認可された。純粋な救急医学のプログラムは卒後からプログラム終了までにかかる期間によって、3年制(PGY-1からPGY-3)と4年制(PGY-1からPGY-4とPGY-2からPGY-4)の大きく2つに分けられるが得られる資格等に差はない。米国での救急臨床留学を目指す私たち日本人にとって3年制か4年制かということはそれ程大きな問題ではないかもしれないが(fellowshipを入れてもJ-1VISAの7年間という年限には問題なく入るであろう)、卒業までに多額の借金を作っている彼らにとって何年で研修を終えられるかは大変重要である。ところがレジデント生活は早く終えたいという彼らの中で、概して4年制のプログラムの方が優れているという「救急4年制優位神話」が少なからず存在する。どちらが優れているか、という問題は別として米国の救急医学教育システムの構造やレジデントプログラムの位置づけを理解する上で大変参考になるのでこの点について少し触れてみたい。まず4年制派が挙げる優位な点は以下の通りである


  • アカデミックなキャリアを進みたいのなら4年間のプログラムが有利
  • 就職には4年間のプログラム卒業の方が有利
  • 3年間のトレーニング終了時点では救急医としてはまだ不十分

確かにプログラムのリストを見ると4年制のプログラムには伝統のあるいわゆる名門プログラムの比率が高いように感じる。しかしこれは比率の問題であって、数でいえば3年制の方にも有名プログラムは多数存在する。私をinterviewに呼んでくれたある3年制のプログラムのディレクターは「4年制優位神話」にこう反論する。

1. アカデミックなキャリアの入り口はFellowshipである。アカデミックにいきたいのなら4年間のプログラムではなく3年間のプログラム卒業後Fellowshipに進むべきだ。

2. 75%のプログラムが3年間という事実を考えると、3年間のプログラムが就職に不利というのは馬鹿げている。ただ4年間のプログラムのいくつかは3年間のプログラムの卒業生をすぐには雇わない。これは単に卒後4年目の医師が一方ではスタッフ、一方では研修医となる矛盾を招かないようにするためだ。

3. 確かに3年間終了した時点では救急医としての最低限の能力が身についたに過ぎない。しかし学会もER physicianとしてひとり立ちするための必要年数は3年間としているし、4年間のプログラムの人間が言う「3年では不十分」は、彼らのプログラムの3年目は1年目をほぼoff-service rotation(ICUや整形外科などER以外の科をまわる)に費やしERでの経験は3年間のプログラムでいう2年目に相当しているからだ。

4. 3年間のプログラムと4年間のプログラムのカリキュラム上の違いは主にoff-service rotationやelective(自分でやりたい内容を決めプログラムディレクターの承認を得て実行する。人によっては研究に使ったり、海外で診療を行ったりする)に使われる時間数である。病棟でのトレーニングがいくら多くてもERでの診療能力にはあまり差を生じない。

さすがにプログラムディレクターだけあって上述の反論はもっともである。だがそれ以上に彼の言葉はレジデントプログラムの位置づけとレジデント修了が何を意味するのかを端的に示している。レジデント修了というのは救急診療を行う最低限の能力習得でありfellowshipはより専門を学術的により深く学ぶためのコースということであろう。そしてもともとの議論である3年制、4年制どちらが優れているかということについては、私見ではあるが借金と給料の差という背景因子を考慮しても一部に4年制プログラム人気があるのはやはり4年制プログラムの方が少し「箔がつく」ということがあるのではないかと思う。

・カリキュラムとプログラムごとの差

さて次に一般的なトレーニングのカリキュラムについて述べる。前述した3年制のプログラムと4年制のプログラムとの違いはあるものの、ACGME(卒後教育の質を管理し、プログラムの許認可を与える非営利団体)認定のプログラムであればカリキュラムや習得する内容に大きな差は生まれないというのが建前であるが、実際のところ地方と都市では患者層に大きな違いがあるし施設の規模によって(例えばLevel-1のTrauma CenterかLevel-2のTrauma Centerか、など)経験できる症例も異なってくる。よくTVドラマ「ER」でみかけるヘリコプターによる救急患者搬送は地方でより活発に行われているがニューヨーク・マンハッタンではまず経験できないであろう。風土病というほどでもないがその地域に多い感染症や遺伝病が存在するのは事実だし、薬物中毒にもその地域の「はやり」というものがある。またフロリダでは凍傷のような寒冷に伴う病態を経験することは稀である。救急医療に限らず全て医療は地域に根ざしているということであろう。

上にBeth Israel Medical CenterにおけるEmergency Medicine Residency Training Programのカリキュラムを載せる(図1)。内科や小児科と比べて際立つのはoff-service rotation(専門以外の他科を回る研修。ここではER以外のrotationのこと)の多彩さとToxicology(Poison Control Centerを中心に勤務)やEMS(地区のFire Department等を中心にした勤務)などの病棟、外来以外での直接患者をあまり見ないrotationの存在である。救急医学に限らずレジデントは一般的に4週間を1ブロックとしたブロック単位のカリキュラムにしたがって動くことになる。救急医学の場合は、コアとなるERでの勤務のブロックの間に上に示したようなOff Service Rotationが入ってくる。プログラムごとによって大きな違いが出てくる点として参加施設の数がある。あるプログラムはOff Service Rotationも含めてメインの施設ともう1施設を加えた計2施設の中だけで全てのrotationを行うが、別のある施設はERだけでも2-3施設、Off Service Rotationを加えると5施設を超えるようなカリキュラムを持つところもある。これも意見の分かれるところで、前者を支持するプログラムディレクターが、「レジデントはER勤務であれOff Service Rotationであれ出来るだけ私(プログラムディレクター)の近くにおいておくべきだ。そのことによって彼らが受ける研修の質を高いものに保つことが出来る。」と言えば、後者を支持するプログラムディレクターは、「そもそも救急医学の最大の魅力でありかつ研修での重要なポイントは扱う患者層と病態の多彩さにある。1施設だけでそれをカバーするのは限界があり多施設を回ることによりレジデントは幅広い経験と知識を身につけることが出来る。」と反論している。こういった研修施設の特徴などもプログラムごとの差を生む重要な要因かもしれない。
より短い単位でのレジデントの生活を見てみると、どこのプログラムにも共通して見られるのが週1回の集中的なdidacticと呼ばれる講義の時間である。このときはER勤務となっているレジデントはもちろんほとんどのOff Service Rotationのレジデントも勤務を免除されカンファレンスやジャーナルクラブ、最近ではシュミレーターを使った知識・技術の習得なども行われこれに参加する。私が在沖縄米国海軍病院と米国本土のERでのExternshipの経験で驚いたのは、これらの時間は「手が空いていれば参加することが出来る」のではなく「患者を離れて必ず参加しなければならないもの」という意識である。レジデントは研修のために来ているのであって労働のためだけに来ているのではない、という姿勢が強く現れている。日本ではこのようにその科のレジデンと全員が病棟や外来から抜けてしまうと業務が成り立たなくなってしまうところが多いが、米国ではfacultyだけでも業務が進むという充実したマンパワーによる米国医療の実際を垣間見た気がした。

・Fellowship

3年制か4年制かという議論でも少し出てきたfellowshipは救急医学のresidency修了後にさらに専門分野を集中的に修めたい、アカデミックなキャリアを積みたいという人のために存在する。以下にSAEM(Society for Academic Emergency Medicine)がweb上に公開しているprogramのリストを載せる。

ACGME accredited fellowship program
・ Hyperbaric and Undersea Medicine
・ Pediatric Emergency Medicine
・ Sports Medicine
・ Toxicology

ACGME non accredited fellowship program
・ Academic Emergency Medicine
・ Administration
・ Cardiovascular Emergencies
・ Clinical Forensic Medicine
・ Clinical Research
・ Critical Care & Emergency Medicine
・ Disaster Medicine
・ Disaster and Mass Gathering Medicine Research
・ EMS(Emergency Medical Service)
・ Environmental Health
・ Faculty Development
・ Geriatric Emergency Medicine
・ International Emergency Medicine
・ Injury Control
・ Medical and Occupational Toxicology
・ Medical Education
・ Medical Informatics
・ Neurology/Neurovascular
・ Research
・ Research ? Clinical Science
・ Toxicology or Pharmacology
・ Transport Medicine
・ Trauma/Critical Care
・ Ultrasound
・ Wilderness Medicine & EMS

米国の救急医学領域ではfellowshipのポジションを得るのはレジデントとしてのポジションを得るのに比べるとそれ程難しく無いといわれている。これは特に私たちIMGには強く当てはまる。レジデントになるまでの私たちの肩書きはIMG : どこでどんな研修を受けてきたのか全くわからない外国人、であるが一旦レジデントになってしまえばIMGではあるもののもう「どこの馬の骨ともわからぬ」というレッテルはそれ程邪魔をしなくなるであろう。もちろん競争の激しいfellowshipはあるものの、医学部卒業までに多額の借金をしていて早くスタッフとして働きたいという米国の医学教育事情と、内科ほどsubspecialtyが重要で無いという米国救急医学の事情が私たちへのfellowshipの敷居を多少低くしていると考えられる。 以上が米国救急医学の教育システムの概略である。

ー EM resident までの道のり・戦略そして最近の傾向など ー

次に私が2005年、2006年の2度にわたり、applicationからinterview tripを経てマッチングに参加した経験と、その過程の中で最近新たに出てきた傾向、またN programを通しての救急医学レジデントの可能性などについて述べていきたいと思う。マッチングの手順などについては過去にこのN プログラム留学記念エッセイで詳細に書かれているためここでは割愛する。

ー 失敗から学んだこと 2005年マッチングについて ー

2004年当時、私は在沖縄米国海軍病院に日本人インターンとして在籍していたが、日々の業務の忙しさに加えマッチングまでの一連の手順や仕組みの理解が乏しかったうえに、救急医学のプログラムにマッチするということをかなり甘く考えていた。プログラム側は9月から我々の提出した書類を見ることができるが(Dean’s Letter / MSPEのみ11月1日から。MSPEについては後述)、私の書類がERAS上にすべて揃ったのは11月第2週ごろ、さらに私はMSPEなどについてよく理解していなかったためweb上の登録の際に「Dean’s Letter / MSPEを提出しない」にチェックした。また2004年はそれまでCSAとしてIMGのみに課されていた試験が米国の医学生にも課されるようになり名前もSTEP 2CSとなった。それに伴う様々な措置のため2004年10月半ばに受験したこの試験の結果が発表されたのが2005年1月半ばであった。すなわちただでさえ出遅れたうえにDean’s Letter / MSPE なし、ECFMG certificateなしという状態だったのである。25プログラムに応募し、最終的にExternshipをしたということと、N プログラム関連ということで2つのプログラムから面接に呼んで頂いたが、今考えるとこのような状態でよく呼んでもらえたなと思う。面接の際には、知り合った学生や海軍病院のドクターから「アメリカの医学部卒業生でも20近くのプログラムにapplicationを提出するのだからお前はもっと出すべきなのではないか。」と何度かいわれた。今考えると全くもってその通りだが、当時はあまり数を出しすぎて面接のオファーがたくさん来るとスケジュールの調節が難しくなってしまう、などというかなり恥ずかしいことを考えていた結果、どこからも普通にはオファーをもらえなかったのである。3月のマッチングの結果はもちろんダメだった。ある程度覚悟はしていたもののショックはそれなりに受けた。しかし学んだ点もそれなりにあった。それが以下の3点である。

1.我々IMGは何事もすばやく、不備なく手続きを進めなくてはならないということ。
2. IMGにとってプログラム側が何らかの形で自分を知っているということはとても大事。
3.IMGを採用することが少ない科では面接を自分のペースにもっていきやすい。

1点目は当たり前といえば当たり前なのだが、2005年と2006年の面接へのofferの数の差がこれを如実に物語ってくれた。前述したように2005年の時点では色々な不備があったもののUSMLEの点数はすでに出ていた。にもかかわらず面接のオファーの数に大きな差が出たのはスタートの遅れと必要な書類・資格の準備不足が大きいといえよう。これに関しては日本人の場合注意が必要である。私たちの場合、1年の区切りというのは仕事でも、学業でもやはり3月と4月の間にある。このときを境に「よし来年3月のマッチングを目指すぞ!!」という切り換えはかなりの出遅れと考えた方がいい。合格しなければならない試験、用意しなければならない資料にもよるが、万全を期すなら9月までに(4月から数えれば約半年で)全てスタンバイすべきである。私たちはIMGというだけで既にスタートからハンデがある。何事も早め早めで対処したい。

2点目は、1点目で示した様にかなり悪い条件の中でもプログラム2つから面接に呼ばれたことから学んだものである。この2つのプログラムは全米でも比較的人気の高い部類に位置していたがそれにもかかわらず呼んでいただけたのはいわゆる「コネ」があったからだ。結局のところ2005年度はマッチできなかったが、上述したように我々IMGは「どこの馬の骨とも・・・」というような印象が有る訳だから米国医学生に少しでも近い土俵で勝負できるように関係者などから働きかけてもらえることは競争率の高い救急医学などでは特に重要であると考える。Nプログラムはもちろんのこと自分の出身校や病院にいい意味での「コネ」があるのなら使わない手は無いであろう。

3点目は、数回の面接の後に気づいた。面接者からの質問が明らかに偏るのだ。特に救急医学ではIMGが少ないため面接者は「なぜ米国まで来て救急医学を学びたいのか?」というところを必ずかなり時間をかけて尋ねてくる。そのほかの質問もたいていこれに関連するか、しないとしても米国での面接対策本に星三つで出ている「必ず聞かれる質問」の中から聞かれた。もちろん私たちは万全を期して面接に備えるべきではあるが、私が出会った学生のように「今まで経験したアルバイトについて事細かにきかれたよ。何も考えていなかったからボロボロだったよ。」というような予想もしていなかった質問で惑わされるという事態はほとんど無いといえるのではないだろうか。面接はこちらの熱意を伝えるチャンスとして十分活用したい。

ー 2006年マッチングの戦略 −

前年度の失敗を教訓に早期から準備を開始した。まずFREIDAを使ってカリフォルニアを除いた全米の救急医学プログラムのホームページをチェックし(カリフォルニアレターを準備できなかったため)、自分の簡単な履歴、米国での救急医学研修を望む思い、それからプログラム側のIMGに対するスタンスをたずねるメールを送って反応をチェックした。これは感触の良さそうなプログラムに効率よく申し込む下準備として行ったものだが反応は様々であった。多くが「私たちのプログラムに興味を持ってくれてありがとう。」という言葉と共に簡単なプログラムの説明と今後の申し込み方法を説明したものであり、これらは多分あらかじめ作成されていたフォーマットなのだろうが、自分個人として最も興味のあるIMGもしくは私自身に対するスタンス・興味について返答しているものはほとんどなかった。このような返答をしてきたプログラムは私の作成した申し込み優先プログラムリスト上ではニュートラルと位置づけた。一方、全く返信の無いもの、ホームページを見てコンタクトを取ったのに「ホームページを見てくれ」とだけ書いてあるものなどもかなりあり、これらはリスト上で三角印がつけられ優先順位を少し下げたが最終的な面接のオファー状況から振り返るとこのような無愛想なプログラムからのオファーの比率は前述のニュートラルなプログラムからのそれとほとんどかわり無いことが判明した。感触を見る上で一番役に立ったのが、「君の興味は大変うれしいが、当プログラムは全米の医学生の間でも相当難しいよ。」とか「ちなみに当プログラムで今までにIMGを採用したことは無いことを付記する。」という様な暗に(直接?)採用の可能性が極めて低いことを言ってきた返信である。これらはしょうがないのでリストから削除したが、効率的な申し込みという観点から見るととても有り難い返信であった。全般的に見て前2者に該当するプログラムが大多数を占めたため応募プログラムの「絞り込み」にはあまり役に立たなかったが最も熱心な、かつ私個人の状況に関しての見解を述べてくれたプログラムは正式な応募後真っ先に面接のオファーをくれ、涙が出そうなほどうれしかった記憶がある。

・新傾向1. MSPE(Medical Student Performance Evaluation)

上で述べたリストの作成とほぼ同時進行で提出が必要な書類の用意に取り掛かった。まず前年度は提出しなかったDean’s Letter / MSPE だがこれについてはMSPEを作成することにした。公式のホームページ上ではまだ「移行期」でありクラシックなDean’s Letter でも構わないとされているが、あわせられるものは出来るだけ全米の医学生と近いものを、という思いから母校の学生課担当者と何度も電話とメールを繰り返し完成にこぎつけた。これが最後に参考資料1として挙げた私のMSPEである。個人情報(?)にあたる部分はある程度削除させていただいたが大体の感覚はご理解いただけると思うし、基本的な雛形としても使えると思う。実際私が提出したMSPEはここに掲載したものに実際の成績、コメント、そしてAppendixの項ではグラフ中に自分の位置(順位)を示す矢印を加え、最後に大学が用いているレターヘッド入りの用紙にプリントアウトしたものである。MSPEの基本的なコンセプトは、褒めようの無い人でも何かしらの褒め言葉を連ねて書かれたDean’s Letter では選別の役には立たないという不満の中から生まれた。木本先生(現佐々木先生)も2004年の留学記念エッセイの中でおっしゃっている通り私の理解もMSPEはクラス内での相対評価という位置づけである。そのため作成には科目ごとの自分の順位と、各成績ランク(A、B、C、優、良、可など)の人数分布を割り出しグラフ化する必要があり学生課の方の多大な協力が必要であった。私のわがままにも迅速に対応してくださった学生課の方には本当に感謝している。

・新傾向2. SLOR (Standard Letter of Recommendation)

このMSPEと同様の変化が一般のRecommendation Letterにも現れてきている。それがSLOR(Standard Letter of Recommendation)である。これも相対評価のRecommendation Letterという理解でよいと思う。救急医学の分野でもプログラムディレクターの集まりが雛形を発表しこれを推進している。これも最後に<参考資料 2>として掲載した。このSLORに関してはいくつかのプログラムがRecommendation Letterの内最低2通はSLORでないといけない、などの基準を設けている。さすがにSLORまでは用意することが出来ず泣く泣くこのようなプログラムはリストから削除した。

・Invitation to the Interview

ERASがオープンになってすぐに上述のリストから選んだ50のプログラムに応募した。私個人のケースであるが<図2>にプログラム側からの返信を時期と面接への招待の可否ごとに分類したグラフを示す。オープン直後のrejectionははなからIMGをとるつもりの全く無いプログラムであろう。また1月に入ってからのinvitationは「面接のspotが空いているので来たければ誰でも来ていいよ」というものだったので正確にはinvitationとは呼べないかもしれない。それらを除くとグラフは大体11月半ばごろを頂点とした山型となり、strong candidateへのオファーはこの頂点よりも前に来ると考えられる。そして基本的には前であればあるほど見込みも大きくなるのではないだろうか。一方でこの頂点を過ぎてからのオファーは、2次、3次の要素がだんだん強くなってくる。私の場合も、初期のオファーはかなり熱心で私個人に対するメッセージがみられ面接日として選べるオプションも多かったが、あとになるにつれて日にちは少なくなっていった。やはり本格的な面接へのオファーがきだす10月半ば前に書類等の準備は終えておくべきだといえるだろう。

・Nプログラムを通しての救急臨床留学

話をNプログラムを通した救急医学研修に向けてみたい。ご存知の通りNプログラムは現在のところ内科、小児科がメインなのでこれらに関してはNプログラムの選考会を経て毎年コンスタントに医師がpositionを獲得されているが、Psychiatry、Pathology、Emergency Medicineなどはそうではない。これら「その他」の科に関しては、「Nプログラム選抜者」としての影響力は内科、小児科ほどなく「Nプログラム選抜者」をどうとらえるかは各programに委ねられている。すなわち重要な要素とみてくれる科もあれば、参考程度にも見てくれないところもあるかもしれないということである。共通して言えるのは、多分これらの科からのPre-Matchのofferはほぼ望めず、ERASを通した普通のapplicationをしなければならないということだ。ただ前述したようにNプログラムを通して相手プログラムが候補者のことを事前に知っているということは我々IMGにとっては非常に心強いことである。

では救急医学に焦点を置いて話を進めていく。まずNプログラムの過去の実績を見てみるとBeth Israel Medical Centerに1人救急医学レジデントのポジションを獲得され優秀な成績で修了、その後フェローシップを経て現在も米国で活躍されている方がいらっしゃる。この方については、私が面接を受けた際にも「君のgood pointのひとつは過去に君と同じようにDr. Nishimotoがつれてきた日本人が素晴らしい成績を残していることだ。」とプログラムディレクターから言われたことからもわかるように後に続きたいと思うものにとっては非常にプラスである。

医療機関の観点から見てみると、Nプログラムと関係の強い病院で救急医学のレジデンシープログラムを持っているのは前述したBeth Israel Medical Centerと救急医学では実績が無いが毎年内科で日本人が採用されているSt. Luke's Roosevelt Hospital Centerの2つである。もうひとつ、前2者に比べると関係はかなり薄くなってしまうがMaimonides Medical Centerという病院は、Nプログラムから小児科で毎年1名ほどが採用可能としてくれており、かつ救急医学のレジデンシープログラムも持っているが前2者ほどNプログラムの印籠は通じなさそうである。
ではBeth Israel Medical CenterとSt. Luke's Roosevelt Hospital Centerの概略と私がプログラムディレクターと話した際の印象を少し紹介する。

・Beth Israel Medical Center

言わずと知れたNプログラムとの関係では中心的な病院であり過去に数多くの内科レジデントが採用されてきた。大学との関連ではAlbert Einstein College of MedicineのManhattan campusの別名を持つEast Villageにある総合病院である。ERだけで年間66000人が訪れ、ERからの入院率25%は他のERと比較しても高いほうに位置する。病院としてはLevel 2のTrauma centerなのでLevel 1のTrauma centerがひしめくManhattanではBeth Israel Medical Centerで経験できる外傷は限られてくる。救急医学のプログラムは1989年から開始されPGY-1からPGY-3までの3年制である。2005年まで毎年8人のレジデントを採用してきたが2006年のマッチ直前、ACGME(プログラムの質を検証し許可を出す非営利団体)が12人のレジデント採用を許可したため今年以降12人が毎年採用されることになる。前述した外傷に関してはQueensにあるLevel 1のTrauma centerで3年間の間に7ヶ月の研修を行う。この外傷のrotationを含めoff-service rotation等でBeth Israel Medical Center以外に5つの施設を回ることになる。プログラムディレクターと話をした感触としてはSt. Luke's Roosevelt Hospital Centerよりも日本人の採用には前向きな印象をうけた。やはり過去の実績の影響があるのであろう。明確な基準ではないかもしれないが、ここ数年のIMGの採用者はUSMLEの点数としては90以上であると話してくれた。Out of matchは期待できないがNプログラムからある程度コンスタントに日本人を採用してくれる可能性はあると感じた。

・St. Luke's Roosevelt Hospital Center

こちらはかのColumbia Universityの関連病院でありBeth Israel Medical Centerに比べるとよりアカデミックな雰囲気が救急医医学にもある。こちらのユニークなところはSt. Luke's divisionとRoosevelt divisionという2つの病院からメインの研修施設がなっていることでそれぞれ違った患者層を提供してくれる。St. Luke's divisionはLevel 1のTrauma centerである。両施設を加えると年間トータル140000人もの患者がERを訪れる。 プログラムの採用者としては毎年14人で過去に日本人、Nプログラム出身者はいないもののIMGは数年に1回採用されているようだ。プログラムディレクターとの話では、IMGの採用条件としてobservershipではなくmalpractice insuranceをつけたexternship(これについては<参考資料3>を参照されたい)をSt. Luke's Roosevelt Hospital Centerで行い米国の医学生と同じ環境においてよい評価を受けること、を挙げた。施設、環境やシステムなどへの慣れも考慮すると最低1ヶ月の実習を彼は勧める。実習期間中の宿泊はレジデントのための部屋などを空き状況に応じて斡旋してくれるとのことだが、医師に1ヶ月の海外実習は現実的にかなり厳しく、学部生にとっては米国の医学生と同じ環境で評価を受けるには少し経験が少ないかもしれない。しかし彼は「私は今までに何人ものとても優秀なIMGと仕事をしてきた。IMGに対して何の偏見も無い。同じ土俵での評価ならIMGも米国の医学生も関係なく採用したい。過去に実習で優秀なパフォーマンスを見せた日本人をリストの14番以内に書いたが(毎年の採用が14人なのでもし本人が希望していれば確実に採用される)、残念ながら彼は別の病院に行ってしまった。」と話しているのでチャンスは大いにあると思う。是非今後日本人への扉が大きく開いてくれることを期待する。

・最近の救急医学レジデンシープログラムの競争率

最後に今年のマッチングの結果、近年の救急医学の人気の理由を紹介する。上の<表1>は2006年の救急医学のマッチングの結果(埋まらなかったポジションの数)を地区別に示したものである。だいたい2−4%ほどのスポットがunfilledの状態であるが、これはスクランブルの前の数字なので、スクランブル後はほぼなくなってしまうと考えていい。近年の救急医学の人気の理由としてUSMLE対策でも有名なFirst Aidの「First Aid for the Match」は以下の3点を挙げている。

1. 完全なシフトワークのためon callもなく患者の容態や緊急手術等での帰宅の遅れも無い。色々な予定が立てやすくそういう意味で女性にも大変人気がある。
2. 救急医学はレジデンシー3年間を修了してすぐにattending physicianへの道が開かれている数少ないかのひとつである。
3. 内科から外科まで幅広い患者層とそれに伴った多彩な診断・治療手技を実践できる。

これらに10年以上前から放映されているTVドラマ「ER」がどの程度拍車をかけたかは不明だが、専門職の人気ドラマが放映された翌年は希望者が激増するという日本の現状を考えてみてもその影響は推して知るべし、といったところか。 我々救急医学でのレジデント研修を目指す日本人としては、スケジュールが立てやすいとか、総労働時間が少ないなどという理由で救急医学の競争率が上がり門戸が狭められてしまっているのはいささか納得できない部分もあるが、このエッセイを読んでいらっしゃる方の中に私と同じような志を持つ人がいらっしゃれば是非是非挑戦していただきたい道である。内科、小児科などに比べると救急医学で米国臨床留学をしている医師はまだまだ少数ではあるが、日本の救急医療を少しでも良くしたいという共通した気持ちがあると思う。私も初心を忘れず米国での研修に励みたい。

ー 最後に −

 今回の留学だけでなく様々な面で西元慶治先生には多大なるご支援を頂いた。感謝の気持ちは言葉にしてもし尽くせない。Nプログラムを通して臨床留学生として100人以上の医師を米国に送り出すというのは並大抵のことでは無い。人間的な大きさという面でも刺激を受ける部分が数多くあり大変勉強させていただいた。今までいろいろな形で私に影響を与え支えてくれた友人、同僚と恩師、上司の先生方にも心から謝意を表したい。忙しい日常の中でも学部時代からここまで米国留学という目標を持ち続けることが出来たのはこの方々によるところが大きい。私の両親は私がしたいということを基本的に全て認めてくれた。自分たちの生活をある程度犠牲にしても私を支え続けてくれたと思う。自分が親となった今感謝の念は前にも増して大きくなった。最後に私の妻と8ヶ月になったばかりの娘に限りない感謝の気持ちを伝えたい。娘の誕生に際してはビデオカメラまで用意していたにもかかわらずニューヨークで出産の報を聞くことになってしまった。直接この世への誕生を見守り祝ってあげたいと思っていたのだが申し訳ない。妻も結婚したときには富山、沖縄、埼玉そしてニューヨークへとほぼ1年ごとに転居を繰り返すとは思っていなかっただろう。小さいことでは多少の文句を言いながらも私の大きな決断には決して文句を言わずついてきてくれた。本当に有難う。そしてこれからもよろしく。

今後も医療が一人でも多くの人を苦痛から解放し幸せを与え続けることを願い本エッセイの最後としたい。

<参考資料 1> Medical Student Performance Evaluation for YOICHI KATO Graduate’s Legal Name September 30, 2005 Month, Date, Year Identifying Information Dr. YOICHI KATO is a graduate of Graduate’s Legal Name Toyama Medical and Pharmaceutical University in Toyama, Japan. Medical School City, Country Unique Characteristics −narrative comment− Academic History Date of Graduation from Medical School:   March 08, 2002 Month, Date, Year Date of Initial Matriculation in Medical School: April 01, 1996 Month, Date, Year Please explain any extensions, leave(s) of absence, gap(s), Not applicable or break(s)in the student’s educational program. For transfer students: Not applicable Date of Initial Matriculation in Prior Medical School: Date of Transfer from Prior Medical School:

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